User talk:LoveandPeace/Why Wikipedia is not so great/why Wikipedia is so great/ja Wikipedia:なぜウィキペディアは素晴らしくないのか

「ウィキペディアはそんなに素晴らしいものではない」という意見もあります。この文書では、そういう言い分を紹介します。

既存の記事の品質についての問題

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記事の正確性

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  • ウィキの匿名性のため、情報源の信憑性に問題があります。たいていの記事はその出典が明示されておらず、内容を検証するのが困難です。出典が書いてあったとしても、その出典がウェブページだと、いつなくなるかわからないし、そのサイトの情報源もあやふやな場合が多く、この場合もそこから先の検証は難しくなります。これは、電子出版が導入されて以降の全体的な問題です。(Wikipedia:出典を明記するを参照してください。)
  • カスのような記事は、改善されるよりも、どんどん増殖していきがちです。熱に浮かされたような記事が投稿されたかと思うと、その記事にさらに、無知で偏った編集が加えられています。
  • 誰でも、記事にくだらない落書きを加えられます。これは何週間も何ヶ月も気づかれずに放置されることもあります。
    • (コメント)一方、通常の出版では、落書きは大抵の読者には気づかれないままに終わる、ということもいえますが。

記事の完成度

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  • 記事に新たな内容を加えるべく情報を探そうともせず、 {{Stub}} を貼ればよいと思っている人ばかりです。
  • ただのスタブにすぎない記事が、えらく多すぎます。
    • (コメント)それはウィキペディアの歴史がまだ浅いためであると、我々は信じています。
    • (コメント)「スタブ記事を見つけたら、記事を拡張しましょう
    • (コメント)スタブのままで放っておかれる記事があっても、もっと広く読まれる記事を編集するのに時間を費やしたほうがよいという考えもあります。(例えば、「山羊の品種ごとの毛の比較」の記事をスタブのまま放っておいても、もっと一般的で重要な記事を中途半端にしない方がよいでしょう。)

中立的な観点

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  • 哲学者は、万人にとってあらゆる意味で完全に正しい事柄などは存在しないということを論じてきました。つまり、誰にとっても正しいといえる文章など存在しないのですから、ウィキペディアの「中立的な観点」という方針が失敗に終わる運命は決まっています。
  • 政治的な内容の記事は、中立的な文でまとまるのがよいのでしょうが、実際には百科事典というよりは、テレビの討論番組のような文で落ちついてしまいます。(例:首相は、このようなよいことを行ったが、一方、それを悪いことだという人もいる。また彼はこういう悪いことを行ったが、彼がこういう悪いことを行ったのに比べれば、それほど悪いとはいえないという人もいる。)
  • 自分の文章について「観点が中立的ではない」と指摘されると、偏った観点を一生懸命直そうとするよりも、反射的に自分の文を守ろうとする人が多いようです。もし誰かがあなたの文章が偏っていると感じたら、それ自体が本質的に、その後のよくない展開(編集合戦、水掛け論、不愉快な思い)を暗示しています。
  • あるテーマについて、自分とは完全に正反対の考えを持つ人と共同作業で記事を作らなければならないことがあります。そして、時にはどちらが正しいかというのとは別の理由で相手の意見が通るかもしれません。例えば、偏執狂的にそのことにこだわる人は、どんなに無知で意地悪かろうと最後には勝ってしまうのです。なぜなら、それほどその問題にこだわらない人は、そんな人と議論するよりも別のことをしたほうがよいと考えるからです。
    • (コメント)これはウィキペディアに限ったことではなく、様々な分野で人が議論するときに頻繁に指摘されてきたことです。
  • ウィキペディアには、何かを「吐き出したくて」やってくる人がたくさんいます。なぜなら、出版社などからは相手にしてもらえないし、自分でサイトを運営するのはお金がかかるからです。ですから、全然有名でない活動家についてのむやみに詳しい記事が乱立しています。一方、彼らの敵である大手企業などの記事は、スタブのままで、無名の活動家たちに対して行った悪事だけがくだくだと書き連ねられています。
    • (追加)自分の国や民族の英雄について書きたくてやってくる人もいます。そうするとその分野におけるその個人の功績が過大評価される傾向があります。
    • (追加)全員ではないとはいえ、ほとんどの人は政治的に何らかの主義をもっているのですから、どんなに偏ってないような振りをしようと、実際には偏っています。そして全員が記事の観点を覆そうと画策しています。より時間がたくさんあって、より資料を持っている人が最後には勝利を収めるでしょう。その点では、はじめから偏向の方向が決まっている一部マスコミよりはましだといえます。
  • 記事は自己中心的になりがちです。みな、自分の県や小さな町や、自分のマイナーな趣味が特別であるかのように書こうとします。実際には平凡な県だし、全然特別なところのないちっぽけな町だし、マイナーな趣味は所詮マイナーな趣味なのに、そうは書きません。
  • 多くのオタクが反感を持つような意見は、それがたとえWikipedia:中立的な観点に立つものであったとしても、差し戻されて(revertされて)しまいます。
  • 広範囲な質問は冷たくあしらわれます。もし硬派な科学者(特定分野に詳しい人)と有識者(広い範囲の知識を持っている人)が議論をしたら、ウィキペディアでは科学者に好意的意見が集まります。

その他

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  • 英語版では、単語のつづりや、語法などについて、アメリカ英語、オーストラリア英語、カナダ英語、イギリス英語などが入り乱れています。
  • 他言語版への翻訳には、必ず時間がかかるので、別の言語版の記事を利用する人は、異なった時点での「事実」を参照せざるを得ません。

全体としての品質(平均レベルとして)

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  • 北朝鮮のような関心を呼ぶ記事はよく編集されるのですが、そうでないトピック(エチオピアの大統領など)については誰も目も向けないか、非常に見つけづらくなっています
  • オタク優先主義。SFファンタジー作品の脇役など山ほどの詳細な記事があり、情報科学のトリビアな事項についても記事があるのに、肝心の芸術・歴史・文学・映画・地理等の分野では、スタブか、Botがつくった記事か、あるいは記事がまったくありません。この不満を一言で言えば、「これではスラッシュドット版の百科事典じゃないか」といえるかもしれません。
  • 数学の記事の説明に実例がありません。
  • LSDかペヨーテ・サボテンかマジックマッシュルームをやっているとしか思えないような、くだらない加筆が多すぎます。たとえば、「お母さんチューリップはフィリピン諸島に住む。そこから、たくさんの赤ちゃんチューリップの芽が出る。詳しく知りたいときは、ここにメールを。」これをどう思いますか?
  • 異なった観点ごとに、記事間のリンクで閉じた空間をつくってしまいがちです。こういうときには、言語間リンクや比較の観点がおろそかになりがちです。この問題は、独自の用語を用いている特定の集団などで更に顕著になります。
  • たくさんの記事があることは認めますが、効果的にリンクされていません。
  • ウィキペディアでは、人の書いた文章をできるだけ削除しないという方針が非常に強いので、記事がよくなっていくよりも早く、記事が長くなっていきます。誰かが記事をうまく再構成しようと思っても、微妙に間違っている記述や誤解を含んだ記述などを消さないことには、短くできないのです。

共同作業の実践の問題、ウィキペディアコミュニティ内部の問題

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  • 記事のノートで際限なく議論を続け、肝心の記事の執筆が放置状態になったりしがちです。また逆に、議論もないまま、あまりに大胆なる編集をしていく人もいます。
  • 誤字や係り受けの間違いや書き方がうまくないのを直そうとする人々がいるため、悪文家のうぬぼれや自尊心は傷ついてしまいます。
  • 日本語の文法、表記法、漢字の用法、文字組みの方法などに精通している人には、記事の内容を書くよりも間違った日本語の使い方が気になって、これを直すのに忙殺されてしまうでしょう。
  • 「荒らし」対策における悪の双子。もし、記事のリバートや、更には投稿ブロックが早すぎれば、優秀な編集者を一人失ってしまう可能性もありますが、逆に遅すぎれば、その人がウィキペディアに加えた多くのごみを取り除くのに、優秀な編集者たちが余分な時間を使わなければいけなくなります。どちらに転んでも損失です。
  • 広域ブロックが、可変IPユーザに対して行われると、それがダイアルアップでもブロードバンドでも、ウィキペディアに参加できる人を減らしてしまいます。
  • ウィキペディアには、善意と協力というよりは、敵対と争いの文化があります。どんなに経験のあるウィキペディアンでも、相手に善意を感じ取れないことがあります。争いの元になりそうな新規参加者は、コミュニティに適応してもらうよりも、撃退し排除することが最優先事項となります。
  • オタクが場を取り仕切っています。ウィキペディアは「流れ者」から「自由を守る」ために、どんどんピラミッド型の階層構造を持つようになっていきます。記事を削除したり投稿ブロックをしたりできる管理者などの階層が生まれています。この管理者の権限はシステムに組み込まれており、熱心な参加者が時間を割いて注意深く観察していない限り、この権限に対するチェックや牽制は働きません。
  • もしウィキペディアがネット上のほかの「共同体」の轍を踏むのであれば、少人数のグループが他を排除する力を持つようになるでしょう。すると、先取権、内在的な偏向、対立の構図は更に悪化してしまうでしょう。有象無象の流れ者を言い訳にして、多くの人が百科事典のための意思決定過程から排除されてしまうでしょう。

利用者個人の側に起こる問題など

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  • このサイトは、たくさんのウィキペディア中毒患者を生み出しています。人々の時間は他のもっと有意義な活動に使えたのかもしれないと考えると、これは経済的損失です。
  • 著者はいかなる記事においても、その著作者であると主張することはできません。
    • (コメント)もし誰かに、自分が「ウィキペディアで書いたこと」を見てもらおうとしたら、「履歴」ページを見てもらうことができます。
    • (コメント)もちろん、世の中には自分の経歴を作り上げるのに適した場所が無数にあり、ウィキペディアが単にそういう場所ではないということです。
  • 人間性を持たない人に、辛らつなこき下ろしのはけ口を与えることで、彼らが人間嫌いやテロリスト、政治評論家などにならないようにしてあげています。そういう人にとってはウィキペディアはくだらない無意味な酷評をする楽しい場であることでしょう。

技術的な問題、使い勝手の問題

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  • ベクター画像を扱う簡単な方法がありません。そのため、画像のほとんどはラスター画像ですが、ラスター画像は変更を加えるのがずっと面倒です。このため、文章に比べて画像は大きく遅れをとっています。
    • (コメント)もちろん、いつかSVG画像サポートが導入されるかもしれません。
  • ウィキペディアのサーバが一カ所に集中化されているので、サーバの問題やネットワークの問題が起こったときに堅牢性を維持できません。
    • (コメント)ライセンスに基づき、ミラーを作ることは可能です。(現在、フランスに3台のサーバが設置されているはず。)
  • 他の記事に正しくリンクするためには正確な既存の記事名を記述しなければならない。
    • (コメント)またはリダイレクトをつくりましょう。

その他

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  • 記事の中には(国際的な)著作権を侵害して他の文献からそのまま転載されたものがあります。時には出典を記していないこともあります。
  • ウィキペディアのコンセプトはすばらしいのですが、実際に執筆するのはそれほど楽しいわけではありません。中世の著述家の部屋を想像できるでしょう。今は21世紀でしたよね?
  • ウィキペディアの概観は落ち着いていて専門的な雰囲気なので、けばけばしいサイトに慣れた現代の人にはアピールしないでしょう。
  • 記事の価値観に賛同しない編集は、有識者や専門家のものでも反発にあってしまいます。
  • ウィキペディアはどんどん変わっていくので、ウィキペディアを参考文献に挙げにくい面があります。参考文献を挙げるときには、第何版かを書くのは、誰もがその人が参照したものと同じものを探すために非常に重要です。これをウィキペディアでやろうとすると、ある特定の版へのリンクを示さないといけないことになります。誰かがウィキペディアを参考文献に挙げても、これがないと後でそれを参照した人はみな異なったバージョンの記事を読むことになり、完全に混乱が起こります。


Wikipedia:なぜウィキペディアは素晴らしいのかWikipedia:よくある批判への回答も参照してください。


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